ホシトハナ
いよいよ最終回を迎えたアニメ∞ゆめみただが、その13話冒頭にもあるように仲町とビオラが中心にある物語だった。 主人公とその敵役を主軸に据えるという構成は至極一般的だ。 今回はその仲町とビオラを星と花になぞらえて見て行きたい。
仲町は星だ。 そもそも歌物でステージで歌う者というのはそういうものだ。 「君は僕の太陽」とは歌うものの、同時に目を逸らす事もしていない。 自らが光だからこその表現と言えるだろう。
ビオラは文字通り花だが、陽光を受けて反射光によって彩りを持つという意味でも花だろう。 こちらは自覚的なのでほとんどそのままの事を語ってしまっている。 偽物の光という表現は自ら輝く星になれないからこそだ。
STARGAZER ~星の扉
stargazer 1 という言葉がある。 星を見上げる者という意味の他に夢想家という意味もあるようだ。 仲町、あるいはみゅーたいぷがまさしくこれだった。 自分の求める光を追っている者達だったからこそ輝けたのだ。
この輝きの印象はあくまで私のものだが、夢限大という言葉からは夢想家に直接つながるし、最終回の宇宙服のような衣装も地球から飛び立つ者の装いとしてよく当てはまる。 VRでのUFOも宇宙っぽさに大きく寄与していただろう。 もちろん、宇宙人なら宇宙から来るはずだが、ここが先の星の話につながる。 宇宙人は上からやってくる、すなわち見上げられるものなのだ。
そして、星は見上げられるものだ。 それこそstargazerから見上げられるものだ。 そう考えると、あのステージは観客をstargazerにしたと言える。 あるいは見上げられたからこそ星になったとも面もあるかもしれない。
象徴的なのはどこかの外階段からステージを見ていた少年達だ。 in my wordsでは上から見下ろしていたはずなのに、愛は衝動の時には下から見上げていた彼らである。 彼らは星を見上げる為にステージの下へ来たのだ。 夢を見る為に降りてきたのだ。 まさしく、夢限大みゅーたいぷが星になった瞬間だろう。
打上花火
空に浮かぶ見上げる光といえば花火もある。 しかし、ビオラの言う通り一瞬で消える光だ。 星のように輝き続ける事はできない。 花のように散ってしまう。
その言葉だけでなく、秋葉原でのシーンも印象的だ。 フェアリィブゥケの看板はライトで照らされるばかりで自ら光る事もない。 それを見た通行人は眼の前のビオラに気づきもしない。
そもそもビオラは雨に降られていた。 仲町は歌って晴らしたのに、物語を手中に収めていたはずのビオラは空から降るものを浴びるばかりの側になっている。 傘があっても、乗り物にでも乗らなければ人は雨雲からは逃れられない。 それは植え込みの花壇と変わらない。 しかし花には美しさがある。
ビオラに気づいた者達の反射的な写真撮影も、道端のきれいな花を撮った事に近しい。 ふと気づいた花を愛でているのだ。 それも高架で傘をささずに済む場所だからこそ起きた事だろう。 そして、余裕がなければ花を愛でる事なんてできようもない。 星のように追われるのではなく、花は眺められるだけなのだ。
地上の星
星となったみゅーたいぷを見下ろす者が1人だけいた。 ビオラである。 例の少年達も、かつての仲間達も、今の友人達も、みゅーたいぷを見上げていたのに、ビオラだけは駅とUDXをつなぐ通路から見下ろしていた。 ビオラを見下ろされる花に例えたが、ここではビオラが見下ろする構図になっている。
ビオラからしたら仲町が星だなんて事はわかっている。 それに比べれば自分が単なる花でしかないとわからされている。 しかし、それでも花である事を選んでもいる。 ららららがーるずからフェアリィブゥケに移行する時に名義変更もせずにビオラであり続けた。 星になれないからこそ自ら咲けて愛される花を選んだのだ。 故に輝く星に夢を見ないという宣言として、あのステージを見下ろし、去っていったのだ。
しかし、その行為すらみゅーたいぷを星にしてしまっている。 それはあの距離にある。 あのステージからあの通路までは100m強ある。 これは横浜アリーナを横に使った時のステージと最後列の客席以上にあるだろう 2 。 アリーナクラスのライブに行けばわかると思うが、この距離は人の形がやっとわかる程度である。
その距離で演奏を聞いたら少し遅れて聞こえるはずだ。 距離からすれば0.3秒程度は遅れるだろう。 屋外なのでビルに反射したり共鳴したりノイズもありそうだ。 それでも仲町の言うおしゃべりは成立している。 これは他の星との交信と見るとどうだろう。 物理的には見下ろしてはいるが、音楽を通してだと見上げる程の遠くにいる者との交信になっているのではないか。
だからこそ「好きも嫌いも超えて」「大嫌い」なのだ。 自分がどこにいても仲町が輝く星とわかってしまう。 反意としての行為ですら地上の星にしてしまう。 ビオラは客観的だからこそ自分の行為を含めて仲町という星を見る事に自覚的だ。 それが大嫌いなのだ。 しかし、自ら咲く花であろうとも陽の光が必要な事も知っている。 だからこそわざわざあの時間に秋葉原にいたのだ。 その行動原理はもう仲町あられが歌っている。