同音異義語
高架下で満たされる満たされないといったやり取りがなされていた。 藤はビオラとの関係を過去にすると言っていたが、その言葉通り2人の関係を総括するシーンだったように思う。 アニメを通して2人が何を求めて何をしたかを振り返るようなものだったとも言えそうだ。
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そこで見えてきたのは同じ言葉を使っているからこそ言葉が通じていない光景だ。 冒頭に述べた満たされる満たされないも同じものを指しているようで同じものを指していない。 だから通じない。
ただ、これまでの藤とは大きな違いだ。 話が通じないようになった。 意図を持った言葉を使うようになったのだ。 よくわからないが言い過ぎてしまった藤は過去の人である。
炎上という名のスポットライト
では、満たしたいものとは何だろうか。 ビオラは自身の行動を自らが輝く為の自衛とした。 これは嘘ではないだろう。 満たせると思っていないからこそ自衛をするだけなのだ。
例えば、ビオラに対するインターネット上の反応はビオラを相対的に見たものばかりだ。 ビオラ自身の評価ではない。 もちろん、容姿が芸能人をやる程度に優れているだろうが、芸能人としてそれが特筆されるような描写はなさそうだ。 少なくとも本人はそれだけで輝ける程だと見てはいない。 だからこそ、輝く人を憎むし、輝くビオラを作る為は何でもする。
炎上とはスポットライトだ。 キラキラとしたものでも別の光で上書きし、その中心におらずとも端に映っていれば輝きにはあずかれる。 そうやってビオラを作ってきたのだ。
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だが、それはあくまで作った輝きである。 自ら輝いているわけではない。 しかもその中心に照らされているわけでもない。 悪名という影すら背負えないのだ。
これは仲町や峰月には実質的な自供をしている事にも関わってくるだろう。 ステージから降りたと認識した相手だからこそ、自らがやってやったという顔ができるのだ。 ただこれも、ステージ上ではできないとも言える。 本物ではないのだ。
パフェの血糖値
一方の藤は特にそういう意識をしてこなかった側に見える。 賞を貰えれば嬉しいし、編集にやや後ろ向きに言われれば落ち込む。 しかもそれが早とちりだったりする。 ある意味でごく普通の人間だ。
輝くものを憎くは思いつつも、輝くものや輝かせる方法をあまり意識していなかったのだろう。 だからこそ、ビオラの輝きは人工的なものだとも思わずに光として追ったのだ。 そして今でもその区別をあまりしていない。
区別がないからこそ、ビオラが作れてしまう輝きも受け入れのめり込んでいた。 出会い方が違ったら、とまで言ってしまう。 しかしそこで満たされていたのは観客としての藤である。 客席から見ればステージに立つものはすべからく本物だ。 客降りで目が会った時の興奮とパフェで上がった血糖値は似たようなものだろう。 描く側だったはずの藤が見る側になっていたのだ。
割れ鍋に綴じ蓋
ビオラはどう見られるかを考えている。 藤が自分と近い面のあるファンである事はすぐわかっただろう。 だからご褒美もお預けも手のひらの上だった。
しかしその行動原理は変わっていったように思う。 当初は仲町や峰月のような本物への意趣返しの手段として見ていただろう。 みゅーたいぷへの介入としてこんなに便利な駒はない。 峰月のように人質は取れないが、藤にとっては自分自身が人参だ。 実質思いのままだったのがゆめみたの中盤と言っていいだろう。
だが、高架下でのやり取りではそうはならなかった。 これは藤自身が変わった事もあるだろうが、ビオラにも変化があったのだろう。 というのも、携帯が取材中に鳴ってしまうというこれまでにないミスをビオラは犯している。 この理由は明示されていないが、炎上の失敗と見てはどうだろうか。
先に述べた通り、炎上はビオラが自ら作れるビオラが輝く手段である。 しかしそれが上手く行かない。 ボヤ程度ではビオラまで光が届かない。 そこで出てくるのが本物の近くにいて偽物の光も輝きとして認識する藤の存在である。
だからこそ誰よりも上手くやれるのだ。 炎上なんて一部の狭い世界の、しかもあまり興味のない者達の現象だというのは千石や宮永の話でやった通りだ。 炎と言いつつ、次の日には変わってしまう水物だ。 ビオラという不完全な入れ物からはすぐにこぼれ落ちていく。 破れ鍋には綴じ蓋が必要なのだ。 藤には水も滴るいい女とでも思わせておけばいい。
金継ぎと破釜沈船
しかし藤には核があった。 創作という核があったのだ。 だから破れ鍋ではいられない。
破れ鍋と綴じ蓋では安定した状態ではあるだろう。 だが、水で満たすと割れた所から同じように水が溢れていくだけだ。 このこぼれた水がまさに創作だ。 しかし藤は同じようにこぼれる様がつまらない。
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だからみゅーたいぷとなり、自分で自分を乱し続ける。 そうすれば水の流れは常に変わっていく。 楽しく満たされた金継ぎのような時間もあるが、そのほとんどが憎しみや悲しみだ。 それらを含めて常に変わっていく。 藤自身が、藤の創作が変わり続けていく。 そうでなければつまらないと気づいてしまったのだ。
奇しくも破釜沈船という言葉がある。 決死の覚悟といった意味のようだが、今回の藤に相応しい言葉と言えるだろう。 みゅーたいぷという宇宙船への乗船は創作活動への投身だ。