タイトルで全て言ってしまったようなものだが、TVアニメ「バンドリ! ゆめ∞みた」7話現在で状況に振り回されている藤都子には時間が足りない。 それが現状の弱点であり、作中での問題もそこによる所が大きい。 余裕がないと振り回されやすいものである。 が、それでも今回のライブで得たものでバンドになっていける事はわかった。 だからこそ時間をかけてみゅーたいぷになっていくだけだ。

藤都子には時間がない

作中でも散々触れられているとおり、藤都子は忙しい。 高校生が商業漫画家をしつつバンド活動までしたら時間があるわけがない。 学校側のかなりの配慮も見て取れるものの、それでも全日制の高校生だ。 プロの作曲家として活動している千石と比べたらまだまだと本人は言うものの、千石は平日の日中に外にいても平気そうにしている。 恐らく千石はスクーリング頻度の高い高校生とは異なる立場だろう。

また、性格としてもあまり人に頼らないような性格でもありそうだ。 漫画家として自分でやらなければならない部分があるのは当然だし、キーボードとしては自分で練習して演奏するしかない。 冗長なので省く面はあるにせよ、漫画の相談を編集にしているような姿はなく、演奏という観点で他のバンドメンバーに頼る事もない。 宮永を苦手としているのはわかるが、買いすぎたアンパンを食べてもらおうか考えもしない。

こうして藤は立場的にも性格的にも時間がない。 更には時間を作りにくい状況に陥っている事が伺える。

仲町との対立の前提

そのような中でビオラと再会し、仲町とも対立するような状況に陥ってしまう。 これをビオラにいいようにされているとだけ見てもいいが、そもそもここに至るまでの藤は相当な忙しさだったはずだ。

というのも、ライブの数日後の締切の原稿を落とさず、更には2日前納品までしている。 漫画家としては普段からアシスタントに依頼しているようだが、だからこそ2日前納品はかなり無理矢理なスケジュールだ。 人に任せている以上は自分で調整できる部分が少なくなる。 すなわち、アシスタントに任せず自分でやってしまったか、アシスタントから返ってきた物の確認や修正を余程早く終わらせたかになる。

モチベーションが途切れないと本人も言っているし、それで進みが早い場合もあるだろうが、無理をしていれば無意識でも無理はたたるものだ。 仲町のような芸能経験者とはベースラインは違うにしても、SNSでの炎上も冷静に見にくい状況だったろう。

藤都子の視座

ここまで来ると藤都子は休めという事になってしまうが、それはそれで選択しにくいものがありそうだ。 藤はあまりに自らの、みゅーたいぷの置かれた現状を知らなすぎる。

藤からすると、漫画家として活動していくつもりだったのに何故かバンドに加入して、二足のわらじで頑張ったのに叩かれたという見方になる。 しかし第三者からすれば、そのような契約内容も峰月加入の経緯も説明されている。 後者はビオラの件があったとは言え、そもそも藤はあまり人の話を聞かないのだろう。

人の話を聞いていないからこそ見えているものが違う。 仲町にしろ峰月にしろすねに傷があるが、それでも事務所としては受け入れてきたし、その意向を受けて炎上を覚悟でライブまでやってくれている。 ちゃんと周りを見ていればその寛容さに気づくはずだ。 そうすれば周囲に頼るという選択肢もあったのかもしれない。 しかし藤はそうした選択ができなかった。

自立と信頼

他のバンドメンバーに目を転じてみると、千石と宮永はかなり安定している。 千石は過去の経験もあってマネージャーからも頼られているし、宮永は概要さえ伝えれば放任でも進んでいける。 まだ半分なので一悶着あるかもしれないが、それでも周囲が見えている2人だ。 自分を確立できているからこそ周りの話を聞けるのだ。

一方で仲町と峰月は言い過ぎるし言い切れないしどうしたものかという所だが、一緒にいれば自然と話す関係だからこれはこれで収まりがいい。 互いに上手く喋れない場面があったとしても、互いの信頼ができているから時間さえあればどうにかなる。 そして信頼があるからこそ時間は作れるのだ。 そこで解決すればいい。

そうした中で藤はどうか。 自立しているとも言い切れず、そこまで信頼関係もできていない。 かろうじて話せる相手が仲町くらいと言った状況である。 それにしたって執着した相手に教えてもらった店を使ってやっと聞き出せるくらいだ。 バンドの中での関係構築があまりできていないと言っていいだろう。

藤都子がライブで得たもの

さて、ここまで藤の現況からみゅーたいぷのメンバーについて見てきたが、バンドアニメなのでそろそろライブの話をしよう。 ここまで性格や関係の話をしてきたが、バンドアニメなら関係はライブで進む面は大きいはずだ。 仲町なんてストレートにこのバンドでやれてよかったととれる話をしている。 やっと歌えるようになったのだから喜びもひとしおだろう。

一般にこうしたライブシーンではヴォーカルが中心に描かれがちだ。 だからこそヴォーカルからの視線やヴォーカルへの視線もわかりやすいものとなる。 曲の構成もあるが音楽的主柱である千石とは向かい合ってすらいるし、これまでの経緯や関係もある峰月とはしっかり目を合わせている。

それに対して、藤は鍵盤ばかり見ている描写が目立つ。 経験が浅いから弾くだけで精一杯というのもあるだろうが、それにしたって自分の中に閉じこもっているかのような表現だ。 ばちんと視線こそ合わせないものの、そこら中を見回している宮永とも対照的だ。

しかしながら、「全員揃ってステージに立てて本当によかった」という言葉は素直な感想だと思う。 キーボードに比べればデザインははるかに自分の中で確立できているものだろう。 だからこそ自分の貢献を意識できたものとしてすっとぼけた顔からは脱していた。 音楽を通してではないかもしれないが、ライブを通してメンバーとコミュニケーションを取れていたのだ。

仲町を含めて他は経験者だからライブですぐにそれを感じられた。 藤はもうすぐそこまで来ている。 自分勝手な演奏をしていたらもっと違う反応だったはずだ。 バンドだからこそできるコミュニケーションはすぐ近くにある。

自分達の音楽

敵役を倒す、世間を見返す、そういうカタルシスは普遍的だし、ビオラはわかりやすくその役を担っている気がする。 が、別にわかりやすくそれをしなくてもいいと思う。 みゅーたいぷはみゅーたいぷの音楽をやればいい。 それがバンドとしてみゅーたいぷのやり方を最も示せる姿だろう。 ある意味でそういうものが一番効く相手でもある。

わかりやすさとのバランスを取るなら、藤の一時的なフェアリィブゥケ加入もあり得る。 コミュニケーションになっていない音楽を味わったからこそ初めて気づく事もあるはずだ。 みゅーたいぷのギャップの契機を音楽とすればバンドアニメらしいのかもしれない。

どういう経緯をたどるにせよ、みゅーたいぷはみゅーたいぷの音楽をやればいい。 馬鹿らしくても覚悟を持って音楽を続ければいい。 すごく時間のかかる道のりだろう。 しかし、それがぼくたちの生存のあらすじかもしれない。