現代の大規模言語モデルとブログ

現代の大規模言語モデル(LLM)はそれなりの文章程度は簡単に出力できる。 少なくとも、テーマの決まった文章を一定の文字数で書かせるなら私よりもLLMが優秀である事は間違いない。 一般的にデータが流通していないか法や倫理に抵触するような特殊な分野でなければ勝ち目がない。 しかし基本的には特殊な分野だと需要もない。

そもそもブログは収入の足しになればいいと思っていたし、今でもその名残と言わんばかりにAmazonアソシエイトは貼っている。 ただ、10年以上やってきて1銭も入ってきていない。 ブログ収益化のような本にあるようなものは書かないし、そうした定型化されたもの以上に価値のある内容も書けない。 需要のないテーマで収益性のない記事を書いてきたと思うとえらい資源の無駄である。

所で、こうしたブログ的なプラットフォームは日本ではnoteが強い。 個人から大企業、果てはデジタル庁までが利用している。 商業ライターなどを除いて文章で収益を得るなら有力な候補の1つだろう。 私もこのブログを転載していて、利益はなくとも読者が増える事を実感している。

そのnoteはGoogleとの提携もあって生成AIの利用を推進している。 エディタにはGeminiが内蔵されているし、コンテンツをAI事業者に提供する事で対価を得るプログラムも実施している。 ブログでも商売になるならどんどんLLMは広まっていく。

LLMの利用法と利用限界

何故LLMが使われるかと言えば、おおよそ指示を与えればそれに従ったものを生成してくれるからだ。 広告記事を書けと言えば広告記事を生成するし、SEOに合ったタイトルをつけろと言えばそのようなタイトルを出力する。 商売では売上なり利益率なり明確な目的があり、本質的にはその目的をLLMに渡せば指示になる。 その指示は言語化なので言語化が重要と解く人もいるが、言語化を含めてLLMに任せる事もできる。 もっとも、LLMの利用料が発生するのでそこを最適化したいなら自ら言語化した方が安いという可能性はある。

いずれにせよ、既存の市場で利益を売るのであれば人間がするのは投資の判断が主になる。 ブログであれば、受ける記事を書けと指示するなり、受ける記事を書かせる為のプロンプトを生成しろと指示するなり、執筆自体はLLMにやらせればいい。 執筆にあたって必要な市場やテーマを決定する事が人間の役目である。 もちろん、それ自体をLLMにさせてもいいが、ブログの運用を自動化できない限りは管理コストは掛かるのでどこに注力するかは決める必要がある。

ただし、これは既存の市場やテーマが成立する場合だけである。 全く新規の市場を開拓する、LLMでは生成しにくい表現を提供する、といったニッチ市場を狙うなら必ずしもLLMの使用が適切とは限らない。 読みにくい文章や意味不明な文章は生成できるしそれが受けたとしても、、それは一般的なLLMの評価手法ではスコアが下がる出力である。 モデルがアップデートしたら修正されてしまう可能性もある。 多くのLLMは汎用のモデルを志向しているからこそ、偏った表現は評価されない項目なのだ。

また、反AI向けという市場も考えられる。 そのような市場がどこまで大きいのか把握できていないが、それでも反AIというものは存在する。 そうした層に対してはAI不使用は1つのブランディング戦略となるだろう。 ただし、証明する方法はないし、判定機と称するものも誤判定がある。 かなり不安定なブランディングではあるので利用しにくいブランディング戦略かもしれない。

書きながら考える

話しながら考えるという人がいる。 私も完全にそちら側だ。 もはや話していないと考えられない。 考えてから話せる人は信じられない。 話しているとどうしても考えが変わってしまう。 発話していて音の感覚が違えばそれだけで引っかかってしまう。

例えば"簡単"と"容易"はほぼ同様の意味だから概ねどちらを使ってもいい。 しかし音は違う。 私はそこに引っかかって考えが変わってしまう。 簡単は容易に比べて効果範囲が広く、容易は実行時に効果を発揮する言葉のような印象がある。 だから簡単ならば事前準備から結果対応までの話になるが、容易だと実行時点での話になる。 注目する領域が変わるのだ。 そうなれば考える内容も変わってくるだろう。 だからこそ話す事によってやっと考えられるのだ。

これは書く時も同じである。 語彙に開き方、送り仮名まで自由に選べてしまう。 その選択自体が思考の一端を担っているのだ。

これこそLLMの仕事と見る向きもあるだろう。 LLMを壁打ち相手にするという用法は枚挙にいとまがない。 ただ、ここで話すと書くの違いが出てくるように思う。

話す時には相手に合わせて言葉を選ぶものだ。 これは悪い事ではない。 立場を考えた上での思考は社会において必要不可欠なものだ。 そして、LLMとのチャットは話すに近いものに感じる。 相手を見てチャットしているのだ。 これは人に向けたものを作るにはいい方法だ。 壁打ちと言っても誰かに見せる為に作っているのだ。

だからこそ自分の思考の為にはチャットは合わない。 誰の為にもならない思考をするならば、独り言を言うなり独力で書くなりするしかない。 我が為に書くしかないのだ。