超かぐや姫! の総括的な記事を書きたいが、どうにも書きようがない。 そこで今回は楽曲という切り口で見ていこうと思う。

Remember

作中では最初に流れる曲だが、イントロが妙にエンディングっぽい印象を受ける。 流れる場面が彩葉が帰りだった事もあるだろうし、私がレイトショーばかり見ているという個人的な都合もある。 劇中の場面にしても私にも1日の終わりに聞き始める曲になっている。

ただ、エンディングっぽい印象は意図しても作られたもののようにも思う。 何故ならこれを彩葉が聞いている時点でヤチヨにとっては終わりの始まりが来ているのだ。 クライマックスだという表現が後で出てくるが、クライマックスなんて残り時間がわかっていなければわからない。 しかし未来から来たのであれば自らのクライマックスは決められる。

だからこそ過去と夢ばかり見ている。 これからの先の未来への期待ではなく、自分の過去と他人の夢ばかりだ。 きっと、これこそがかぐやがもうヤチヨになったという事なのだろう。

星降る海

3回見てやっと龍宮城だとわかった。 それまではずっと三途の川に見えていた水の流れも、底から光を見上げる水面に変わっていった。 しかし、そんな姿は劇中では見せない。 乙姫は客人を迎え、もてなすものだ。 それは電子の海でも変わらない。

Rememberの時点でヤチヨの歌が彩葉に届いているからこそ、その次の曲という印象がある。 だから特定個人に向けた曲という感覚はあまりない。 届いたのは彩葉だけではなく、ツクヨミに来ている者達にも同様だからだ。 柔らかく包み込むような雰囲気はそのツクヨミという世界に向けたものなのだろう。

ただ、これは抱きしめられる相手がいないからこそ、自らを抱きしめているとも言える。 握手券があって、VRでは握手は出来ても、ヤチヨ側へのフィードバックはない。 ヤチヨはツクヨミという自分の作った世界をもってしても誰にも触れられないのだ。

私は、わたしの事が好き。

冒頭の"朝起きて今日は何しよう"がもう全てだと思う。 見るもの触れるものが全部楽しい、何でもできる夏休み。 何をやっても楽しくて、昨日のやり残しの続きをやったりしない。 思いつきみたいな毎日が楽しくて仕方ないのだ。

これはある意味で幼さなのかもしれないが、そうやって何が楽しいかを試していかなければ、何も選べなくなる。 その過程をやっているのだ。 だから基本的に1番より2番の方が具体的で自分を顧みる内容になっている。 落ちサビ以降はまた戻っているような気もするが、これは自分が何を楽しいかを試してみてやっぱりこれだったと戻ってきているだけである。 体験して、内省して、選択したのだ。

彩葉はそれらを一気に飛ばして、あるいは止めたまま次に進もうとしている。 かぐやは自分がやりたいと言って強制的にそのダムを破壊したのだ。 劇中ではこの曲を中断して再開する演出をしているが、その際の合間のパートで彩葉をどう変えたんだ? という質問に対して、曲の再開という形で返答している。 彩葉が自ら堰き止めていたものをかぐやが動かしたと映像的にも示していて面白い。

ハッピーシンセサイザ

私は、わたしの事が好き。ではどんなものが楽しいかを楽しく選んでいくという話をしたが、こちらはどうすれば楽しいものがわかった上での曲だ。

この曲がかかるシーンの「彩葉いないとつまんないよぉ~」という台詞が全てだよ。

ワールドイズマイン

正直、意図というか、位置づけのようなものがよくわからなかった。 こういう事もできますよ、という技術力や表現力のアピールのような感触が強かった。 これまでのヤチヨはこういうライブをやっていたと示したかったのだろうか。

ただ、「ヘイベイビー」の彩葉の表情が滅茶苦茶にメロい。 あれは本当にメロい。 それをヤチヨがまた見たいと思ったから入れたのか? それはまぁ、ワールドイズマインだよなぁ。

Ex-Otogibanashi

歌割りが面白い。 ex- という接頭辞自体が超越と過去の両方の意味で使われる。 だからこそかぐやは竹取物語を超える部分を歌い、ヤチヨはかつての思い出話をしている。 八千年も経てばどんな思い出話もおとぎ話だ。

かぐやは恐らくこの曲を難しいと言っていたと思われるが、そういった心情の面も含まれていたのではないだろうか。 2つの話を同時にしているのだから、どのように歌えばいいかわからない。 歌唱やダンスも難しいだろうが、そうした動作だけでは片手落ちだ。 しかし、いろPとしかやっていないかぐやはそれがわからない。 だから難しいという感想になったのだ。

逆にヤチヨはそれをわかった上でやっている。 そこまで汗一つかいていなかったAIがこの曲だけ汗を滴らせているのだ。 それは汗だけだったのだろうか。

瞬間、シンフォニー。

これは別れの曲だ。 では、別れとは何か。 それは出会いへの祝福だ。

全体的に花火だった。 いつかは散ってしまう一瞬の美しさ。 とても映像的に感じる曲だ。 またたいて、またたいて、散る。

Reply

こちらはRememberにも増してEDっぽい。 イントロ部分が本編映像にかかるタイプのEDだ。 だからイントロはループしている。 ここからEDですよと宣言しているのだ。 テレビアニメだとそれを何話もやっていく。 そうして視聴者をこの音が聞こえたら終わりなんだという気持ちにさせる構造をしている。 だからこ、Rememberと同じメロディなのだ。 視聴者の回路を組み替えているのだ。

しかしかぐやはそんな事を意識しているわけではない。 恐らく卒業ライブでは1番までしか出来ていなかったと思われるが、そこに彩葉への想いを綴ったのだ。 ずっとずっとつまらなかった世界にいたからこそ、こんな彩り豊かな世界を見せてくれた彩葉へ歌を書き残したのだ。

だから2番は彩葉側の歌になっている。 曲名通り、曲の中でかぐやに対して返歌をしているのだ。 かぐやが自分について歌っていたからこそ、自覚的にならなければならない。 そこでかぐやによって変わった自分を理解したからこそ歌を返せたのだ。 かぐやを求められたのだ。

なら残りの部分は何かというと、ある種の宣言だと思う。 言葉は過去の事象を固定化するものだが、それは未来にだってつけられる。 決めた未来があれば名前をつければいい。 めでたしめでたしで結べる物語を描けばいい。 それができるのが歌だ。

ray

星屑も燃えれば瞬きになる。 流れ星はそういう現象なのだが、人にとってはその塵は過去だったり痛みだったりするのだろう。 そういうものを燃やして生きていくのかもしれないし、そういう人を見上げるだけなのかもしれない。 それでも眩い輝きはある。

多分、私は超かぐや姫! にそれを見たのだと思う。

メルト

rayは感情的に、もはや感傷的にさせようとするアレンジだと思うが、こちらはあまりそういう印象はない。 勿論、思い入れのある人にはそうかもしれないし、テーマに対してそれを感じる人もいるだろう。 だが、一番自由に聞ける曲の気がしている。

もう20年近く前の曲なのでもはやクラシックだ。 だからこそ市中に様々な感覚の人がいる事が当然だろう。 また、劇場公開の都合で、この後にrayのMVが入っている。 最後の曲のようで、本当に最後の曲はこの1つ前の曲という曖昧な塩梅だ。 しかも宣伝の都合上、それは多くの人が知っている。 故にある意味でリラックスして好きに見られるパートなのだ。

そして何より、かぐやがOKなんて言っているのだ。 自由に聞いてOKだろう。